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  **** ミャンマー編(ビルマ)****
 
  今回はあまり知られていないと思われる「ミャンマー」の道路事情をご紹介いたします。
 ミャンマーは、13年前まで「ビルマ」と呼ばれており、まず思い浮かべるのは「ビルマの竪琴」、ミャンマーになってからは「スー・チー」さんぐらいで、あまり馴染みがないかもしれません。
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  高速道路はいまだ未整備
 
 道路状況
 ヤンゴン市中心部は、2〜6車線道路で整備されており比較的良好ですが、市街地を一歩出たとたんに凸凹の悪路となります。

 道路の総延長は約3万km、国道が2万400km、地方道6500km。国道の大部分は1車線で、車のすれ違える2車線道路は全体の5.5%の1400kmしかなく、舗装率は地方道を含め37%。その他は砕石と砂利と土面の道路です。
 だたし、この舗装されている国道というのも、地方ではいわゆる簡易舗装で、段差も穴ぼこもある道路です。
 高速道路
 インフラの代表である高速道路計画は現在、第3次5カ年計画(2001〜2005年)が実施中ですが、その詳細は公表されていません。
 この5カ年計画にかかわらずミャンマーに関する情報はきわめて限られており、色々な数値も正確にはよく分かりません。

 6〜7年前から国土中央部の2大都市、ヤンゴン、マンダレー間約675kmを拡幅し、4〜6車線の高速有料道路を、BOT方式(注1)という苦肉の策で、建設する計画が作られましたが、何しろ通行料が10チャット(日本円で3円)程度なので、とても採算が合わず、海外からの協力もなく、地元の業者が強制的に割り当てられ、砂利を頭の上に載せて運びながらせっせと作業しているのが実状です。(写真1)

写真1 「地元の人たちが手作業で工事を進めていく」
  独自の国道設計
両側に牛道を造ること
 
 道路規格
 道路設計は建設省、公共事業省で作成され業者に指示されています。設計はしっかりしており現場にもそれなりのエンジニアがおりますが、まさしく日本の道路建設初期の状況によく似ているといった工事現場です。
 ここでミャンマー独自の設計(図1)は、両側に牛車の通る牛道が必ずあり、ミャンマーの道路には欠かせません。もしこれを設置しないと、農作業を終えた牛車が車道を通り、せっかくのアスファルト表層を壊してしまいます。工事現場に訪れた祭、工事中のサブベースの上を牛車が通った後がありましたが、ひどい壊されようでした。

図1 道路設計図
 このように道路計画は存在し、細々と工事は進んでおりますが、資金不足のため思うようにいかず、資金も、技術も救いの手を待っているといったミャンマーの道路事情です。
 
※注1 BOT方式(Built Operate Transfer)
  民間業者の資金で民間業者が建設し、開通後通行料で運用し、採算をとった後委譲する方式。
 
 
 
別名 ”囚人道路”を行く
 明治24年春、困難の多い道路として中央道路開削があった。
 この道は網走に起こり北見・留辺蘂・佐呂間・野上を経て「北見峠」を越え、上川・愛別・旭川に至る当時全長225km余りの植民地道路であり、拓殖と北辺防律上極めて重要視されて開削された。しかも北見側はその大半が釧路集治監から網走仮分監に移された1100余名の囚人を使役として開削されたものであり、”彼らは悪人であるから死ぬまで使え、国家の経費の節約にもなり、死んだとしても泣く人もいない。普通の人夫より安く使えるから、まさに一挙両全の策である”という政府の方針のもと開削され、着工からわずか7ヶ月余りを経た同年11月には北見峠まで網走から156kmの道路が完成を見るに至る。
  囚人の開削による北見道路
死と交換の短期開通
 その作業能率には今にしてみれば驚異的なものがあった。想像を絶する酷使につぐ酷使。不眠不休の労役が続けられ、特に最も惨を極めた野上〜北見峠間は過度の労役と水腫病に倒れ死者180余名におよび、死亡者は路傍に仮埋葬されたまま弔う人もなく、粗末な名もない墓標は風雪にさらされたまま月日の経つに従い消え去り、今になっては埋葬された場所もほとんどが不明で”囚人のうめきと血に染まった死の道路”となった。
 その後、58体を発見収容し、供養のうえ改装したが、いまだ地に眠れる霊の多いことを想い、中央道路開削殉難者慰霊の碑を北見峠(標高857m)に昭和49年8月建立した。

中央道路開削の殉難者慰霊の碑(上)
現在の北見道路(下)
 この道路は現在でも一般国道333号北見峠、そこから北見側約3kmは、しらかばロードとして親しまれている。しかし、冬の峠越えなどの安全面から平成14年5月から旭川紋別自動車道浮島IC.〜白滝IC.が供用開始され、今はほとんどの車が北見峠を越えることなくこの自動車道を利用している。
 私たちは囚人の血と汗の上に築かれた北見道路が、その後の北海道開拓にとって計り知れない役割を果たしたことを、今も決して忘れてはならないと思う。
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